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院長紹介

院長の禰津直久(ねづなおひさ)と申します。平成5年から当院の2代目院長として日帰り白内障手術を中心とした医院を行っています。

子供時代~大学

生まれたときからこの等々力で育ちました。
父親は獣医師で母親が眼科を開業していましたが、医者になれとか眼科になれということを親から言われたことはありませんでした。
小学生の時はたくさんのプラモデルを作り、真空管のラジオなども作っていました。
その頃、将来は建築家になりたいと思っていました。
中学・高校では卓球部でかなりの時間を費やしていました。数学と物理が好きで高校も進学校でもあり東大の理工学部(理Ⅰ)を第一志望で受験しましたが結局、第一志望には入れず日本医科大学に入学。
ここで数学者の秋山仁先生(バンダナで有名ですね)と出会い彼の専門のグラフ理論とコンピューターのプログラミングを習いました。
秋山先生は当時からエネルギッシュに研究をされ毎月1枚のペースで数学の論文を書かれていました。非常に影響を受けた先生です。

大学~天理よろず相談所病院

大学時代は講義を聞いても眼科にはあまり興味は持てず、講義時間も多い内科に興味を持っていました。
大学を卒業後は大学病院で研修を受けるよりレジデント制の市中病院での内科研修を考えていました。学生時代に聖路加病院や虎の門病院の学生実習にも参加し、結局は奈良県天理市にある天理よろず相談所病院のジュニアレジデントの採用試験を受け就職することが出来ました。

2年間の研修は1年目と2年目のジュニアレジデント専用の病棟に配属になります。
ここでは本館の病棟の各科(血液内科、循環器内科、消化器内科、腹部外科・・・など)から患者さんが送り込まれ各科毎に指導医がつくことになります。
大学病院などでは1人の指導医があらゆる病気の指導をして下さるわけですが、天理よろず相談所病院では白血病の患者さんについては血液内科のA先生が指導医、鼠径ヘルニアの患者さんには腹部外科のB先生が指導医になるというシステムです。
ここでは内科の患者さんも外科の患者さんも経験できました。

2年間のうち半年は麻酔科にも配属されます。さらに半年間、希望すれば本館の単科で研修を受けることができます。
内科研修を希望して選んだ天理よろず相談所病院でしたがこの病院には眼科の世界では今でも手術の神様と言われる故永田誠先生がいらっしゃることを後から知りました。
家も眼科を開業していたこともあり半年間だけなら眼科を経験してみようということで眼科の研修を受けることになりました。
当院の法人名“誠雪会“は永田誠先生のお名前の1文字をいただいています。

眼科研修時代

永田式の白内障手術は誰でもが安全に行えることが理念にあり、非常に洗練された合理的な術式でした。私も眼科を始めてかなり早い時期から白内障手術を最初から最後までさせていただきました。

新人医師が白内障手術を初めてするのは眼科に入って3~6ヶ月してからが普通でした。この病院では眼科配属後11日目に全てをさせていただきました。永田誠先生の指導の下、汗びっしょりになって手術を終えたのを覚えています。

白内障の手術をしてみて一番感じたのが他の科での治療とは全く違う体験だということでした。手術翌日から患者さんが「見える!」と言って喜んで下さることです。内科、外科、麻酔科そして眼科と経験して同じ医者とはいえそれぞれ全く違う職業に感じました。
白内障の手術はすぐに結果が出て患者さんの感激も他の科での医療と違うものを感じました。半年間の間に27眼の白内障手術を経験することが出来ました。当時の大学病院医局であれば3~4年かかって経験できる手術数でした。

こうなると白内障の手術の虜になってしまい、ジュニアレジデントの2年間が終わった後も、運良く4年間の眼科シニアレジデントの席が空いたので更に4年間永田誠先生の元で眼科手術の研修を受けられることになりました。この頃、天理よろず相談所病院では白内障の手術を受けるのに患者さんは2年待つ状態でした。急いで手術を受けたいという患者さんには近くのホテルに泊まっていただき、日帰りでの白内障手術も行っていました。

昭和58年当時、米国では高額の入院費のこともあり、日帰り白内障手術が主流になっていました。このころから将来は東京で日帰り白内障手術をする開業をしようと考えていました。 

今思えば白内障手術で患者さんが喜ぶのを見た原体験と手術を通して社会に還元していくという使命を得たのがこの時期だったのだと思います。

日本医大眼科~開業

その後、母校の日本医科大学の眼科学教室に入局しました。7年間在籍し医局長、講師を務め医学博士号、眼科専門医を取得し平成5年に二代目院長として等々力眼科で開業しました。

開業後

高度な白内障手術を日帰り手術で楽に受けて頂ける眼科開業をするため、診療所の建物から設計しなおし改築しました。国内や海外の白内障手術施設も見学に行きいろいろと参考にさせていただきました。

開業して手術を開始するとともに白内障手術で目に挿入する眼内レンズの光学的な特性に疑問を持ち、手術時に挿入する眼内レンズの度数の計算方法を研究し始めました。国内の学会でも成果を発表したり、自分で光線追跡法を用いた計算式をプログラムしたりして使用していました。
平成18年からは他大学の教授らに誘われてその後は毎年、日本臨床眼科学会で眼内レンズの度数計算のインストラクションコースの講師を10年間続けました。

白内障手術は駆け出しの研修医が行ったとしても1ケ月とか時間がたてば炎症も収まって熟練した術者が行った手術と大きな差はなくなるほどに手術法が発達しました。しかし眼内レンズの度数を計算で決めて挿入する場合、その経験や知識の差は術後の屈折(ピントの位置)を決定づけるもので、その患者様のその後の一生にかかわってくる大切な側面を持っています。
こればかりは術後に時間がたっても良くなるものではありません。
そのため当院では平成13年に日本で2番目に光で目の長さを計測するIOLマスターを導入しました。現在では2種類の光学的眼軸長測定を行い、7種類の計算式を駆使して眼内レンズの度数を決定しています。
平成28年からは人工知能を用いた計算システムも加わりより精度の高いパワー計算ができるものと考えています。

日本の大きな眼科の学会には従来から参加してきました。平成12年からは米国の白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)にも毎年出席し新しい知見を取り入れています。いくら日本の医学が進んでいるといっても、米国の白内障手術の方が日本より3~4年進んでいます。より先の眼科の進化の方向がわかることにより、等々力眼科の進むべき方向も決めやすく、海外の学会に参加することはより新しい技術の導入にも役立ちます。

平成27年には米国白内障矯正手術学会のFilm Festivalに手術手技のビデオを発表し受賞することができました。
ほぼ同じ内容の手技のビデオで日本臨床眼科学会のFilm Awardでも受賞することができました。これもひとえに皆様のおかげと感謝いたします。

これからもより多くの患者様に眼科医療を通して、より快適な生活を送って頂ける一助になれれば幸いです。

略歴

昭和55年 日本医科大学卒
昭和55~57年 天理よろず相談所病院にて内科系ジュニアレジデント
昭和57~61年 同、眼科シニアレジデント
昭和61年 日本医科大学眼科助手
昭和63年 同 医局長
平成元年 日本眼科学会眼科専門医、医学博士
平成2年 日本医科大学眼科講師
平成5年 等々力眼科 院長※ 日本医科大学兼任講師※
平成9年 玉川医師会学術部委員※
平成10年 東京都眼科医会学術部委員※
平成13年~17年 玉川医師会理事
平成15年 世田谷区眼科医会理事
平成28年 世田谷区眼科医会副会長※

※現在に至る

所属学会・資格

  • 日本眼科学会
  • 日本眼科手術学会
  • 日本白内障屈折矯正手術学会
  • 米国白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)
  • 欧州白内障屈折矯正術者学会(ESCRS)
  • 日本緑内障学会

当院での白内障手術は、すべて院長が行っております。

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